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                書院の欄間彫刻


吐針地蔵尊

                      地蔵堂

養寿寺

亀休山松樹院養寿寺は、浄土宗西山深草派に属し本尊は阿弥陀如来です。大同元(806)年、勤操阿闍利(ごんそうあじゃり)によって開かれ、当初は、天台宗でしたが、寛政2(1461)年、年彰空宗永上人によって再興され、この時浄土宗に改宗された、由緒あるお寺です。

伝説によると、勤操僧都(ごんそうそうず)がこの地を通りかかられた時、当時海であった東の方から霊亀が水より出て、砂浜に休んでいるのを見られた。その甲の上には、美しい弁財天が乗られていた。僧都は、「ここぞ将来仏法の繁栄地なる」を悟られ、弁天堂を健立し、その寺を亀休山養寿寺と名付けられたそうです。

慶長7(1602)年 徳川家康より、寺領36石を賜っています。
寛文5(1665)年 西尾城主土井利長により本堂が再建されました。
天和3(1683)年 山門と呼ばれて親しまれてきた鐘楼門が西尾城主土井利意によって健立されました。
安政5(1858)年 現在の本堂が新築されました。

本堂南側の墓地には、「矢田姫の墓」と伝えられている石塔があります。

毎年旧暦2月15日頃(最近は3月の最終日曜日)に開かれるお釈迦さんの涅槃会(ねはんえ)は、「矢田のおかげん」と呼ばれ、江戸時代から広く人々に親しまれてきました。「かげん」とは、管弦のことです。管弦講 すなわち仏前で読経に合わせて、笛、太鼓、小鼓、鐘の管弦楽を奏し仏徳を賛美供養する儀式が訛って「かげん」となったものです。また、「かんげん」は、発音が還元通じお釈迦さんが入滅、即ち還元することにかかっているものとも伝わっています。この日だけのご開帳の、黄金色の寝釈迦さんは、見事なものです。

毎年8月24日の地蔵盆には、「地蔵会」と呼ばれるお施餓鬼が行われ、江戸時代から続く地蔵信仰は、今も町内の人々に引き継がれています。




養寿寺の文化財
天満宮御影(市文化財指定) 地蔵菩薩半跏像(県文化財指定) 楊柳観音菩薩半跏像(市文化財指定)


阿弥陀三尊来迎図(市文化財指定) 雲版(県文化財指定) 鐘楼門(市文化財指定)

■ 蓮鷺(市文化財指定) ■ 釈迦一尊(市文化財指定) ■薬師如来(市文化財指定)
■ 寒山拾得(県文化財指定)